魏では司馬懿・司馬師・司馬昭の三代にわたり実権が徐々に司馬一族へと移り、263年の蜀漢征討の成功で司馬昭の権威は決定的なものとなっていた。その子司馬炎は266年に魏の元帝から禅譲を受けて皇帝に即位し、国号を「晋」と定めて洛陽を都とした。かつて曹丕が後漢献帝から禅譲を受けて魏を建てた経緯を、今度は司馬氏が魏に対して踏襲する形となり、権力の簒奪が形式的な「禅譲」を経て行われるという後漢末以来の政権交代のパターンがここでも繰り返されることになった。即位当初はまだ南に呉が独立を保っていたため天下は完全には統一されておらず、司馬炎はその後も呉への圧力を強めながら統一の機会をうかがい続けた。西晋の建国は、後漢末以来続いてきた分裂状況にひとまず終止符を打つ布石となった重要な出来事である。
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