玄奘は当時国外への出国が禁じられていたにもかかわらず、より正確な仏典を求めて密かに国境を越え、西域や中央アジアの荒野を越えてインドに至る過酷な旅を敢行した。インドでは仏教教学の一大中心地であったナーランダ僧院で長期にわたり学び、帰国後の645年には持ち帰った膨大な経典の漢訳事業を国家的な規模で主導し、鳩摩羅什と並び称される中国仏教史上屈指の訳経僧となった。その旅の記録である『大唐西域記』は、当時の中央アジア・インドの地理や風俗を伝える第一級の史料としても高く評価されている。この命がけの旅の逸話は後世に大きく脚色され、明代の小説『西遊記』において三蔵法師が孫悟空らを伴いインドを目指す物語のモデルとなったことでも広く知られている。